猛雨だ。水滴が落ちる前髪が目に掛かり、額に張り付き、鬱陶しく思う。
失うものはもう何も無いはずなのに、また部屋の扉を開けたら、私はきっといつものように口角をあげて、嘘くさい作り笑顔をするんだろう。
昨晩は今日の猛雨が嘘のように晴れていて、黄金色の月の前を雲が引っ越ししているのがはっきりと見えた。私はいつもの公園のベンチの、いつもの場所に座ってそれを見ている。ベンチへ来る前に見た映画のシーンが、ひとつ、またひとつ、嫌になるくらい瞼の裏に浮かんでいて、それで映画を2回見たような感覚になってしまった。そのときの私には映画も、音楽も、部屋の住人も、虫がか細く羽を鳴らす音も、風も、遠くで揺れるネオンの青もおまけのようなものでしかなく、暗闇の芝生に投げ出された両足の甲にうっすらと、左足に「絶」右足に「望」と書かれてあるように見えた。引っ越しを照らす月は、そんな私の絶望を避けるかのように、マンションの陰に隠れて行ってしまった。何気なくベンチの空白に手を伸ばすと、昼間、砂場で遊んだ子供が座ったのか、風が強かったのか、砂埃で手が真っ黒になってしまった。耳につけている、私らしからぬピンクのイヤフォンからは、外国人が作った冬の曲が流れていた。いつか聴いた事のあるような曲だな、初めて曲を聴いたとき、そう感じ、その「いつか」を思い出すのに時間はかからなかった。真冬の灰色の空の下で、1m以上積もる雪を見渡し、造られた道路の真ん中に立って、飼い犬の左右に揺れる尻尾を見て、灯りのついた台所に母親の姿を探し、マフラーで口元を隠して氷点下の冷気から逃れている、あの場面だった。その場面に音は無い筈だったが、外国人の作ったこの曲は、まさにあの場面を見て、あの場所に立っていたかのように、私が聴こえたような気がした音をそのまま作っていたので、私は大層その曲を気に入っていた。道路の真ん中に立ち尽くし、白に埋め尽くされた畑たちは、すやすやと寝息を立てている、それを感じていた。そう遠くない春を思い、安心が寄り添って暮らしていたあの景色を、目を瞑るとすぐに思い出す。妙な寂しさにかられたけれど、寂しさは安心以上に、いつも私のとなりにいたなあ、と改めて思う。